【書評】「客観的な真理に向かって ――相対主義/構築主義について論じる上での必読書」(評者:山名諒)

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Paul Boghossian "Fear of Knowledge: Against Relativism and Constructivism"

 

本書の著者ポール・ボゴジアンは、現代認識論において大きな影響力をもつ哲学者の一人である。ボゴジアンが本書で目指すのは、副題にあるように、相対主義構築主義の批判である。構築主義は真理や知識が社会によって構築されるという主張であり、相対主義は何が真理であるか、何が知識であるかは、相対的な問題だという主張である。こうした考えを認めるならば、客観的な唯一の真理や唯一正しい認識の方法があるのではなく、共同体ごとに異なるのであり、科学はその一つにすぎないことになってしまう。ポストモダン思想に影響されたこの種の見解がアメリカの人文・社会科学において、さらには学問の外部においても広く受容されている状況が、ボゴジアンが本書を執筆した背景にある。刊行当時(2006年)から十数年経った現在、「ポスト・トゥルース」や「フェイクニュース」といった語が世間を賑わせ、陰謀論が蔓延る状況を踏まえれば、真理や科学的エビデンスに対してどのように向き合うべきかといった問題の考察が喫緊の課題であることに変わりはないと言えるかもしれない。ただし、本書の主眼は時代状況を診断し、真実や科学的エビデンスの重要性を声高に唱えることにあるわけではない。ボゴジアンが本書で行うのは、相対主義構築主義が論理的に不整合であり、到底支持できないものであることを粘り強く「論証」することだ。つまり、相対主義構築主義に対して単にイデオロギーの次元から反対表明をするのではなく、その見解を支持する議論を分析し、それが不十分である、または内部に矛盾を抱えているのを指摘することが、ボゴジアンの試みである。

 

本書の内容を章ごとに紹介しておこう。一章でボゴジアンは、知識についての「ポストモダン相対主義」が人文・社会科学だけでなく、学界の外部においても広く受け入れられていることを指摘する。そのような見解によれば、根本的に異なる、しかしどれも等しく妥当な認識方法が多くあり、科学はその一例にすぎないという。ボゴジアンはこの教義を「平等妥当性(Equal Validity)」と呼ぶ。子供にどのような教育をすべきか、どのような社会制作を行うべきかにかんして私たちが科学に訴えている限り、科学に創造説と同程度の信頼しか認めない〈平等妥当性(Equal Validity)〉は、一部の哲学の専門家だけでなく、社会の成員である人全員にとって問題となると指摘する。

二章では、本書の論敵となる、知識についての構築主義的見解が紹介される。知識についての構築主義者は、知識が社会の利害や必要に基づいて構築されると主張する。ボゴジアンは事実・正当化・合理的説明に対応して、この見解の三つのバージョンを紹介する。事実についての構築主義によれば、すべての事実は社会的に構築されたものである。正当化についての構築主義によれば、どのような証拠がどのような信念を正当化するかといった事実(認識的事実)は社会的に構築されたものである。そして合理的説明についての構築主義によれば、私たちがあることを信じている理由を説明するためには、証拠だけでなく、私たちの利害や必要も持ち出さなければならない。以降の章でこれらの三つのバージョンが検討される。

三章と四章でボゴジアンが取り組むのは、事実についての構築主義である。ネルソン・グッドマン、ヒラリー・パトナムの議論を参照しつつ、事実についての構築主義が抱えている問題を指摘する。四章では、事実についての構築主義で最も有望なバージョンとして、リチャード・ローティ流の、相対主義的なバージョンの構築主義が主題的に取り上げられる。相対主義的な構築主義は、すべての事実は理論と相対的に成立するとされる。ボゴジアンは「ある理論を受け入れる」ということを相対主義者が上手く説明できないことを指摘し、事実についての構築主義を退ける。

五章、六章、七章でボゴジアンが取り組むのは、正当化についての構築主義である。この立場(「認識的相対主義」と呼ばれる)によれば、ある特定の証拠によってどの信念が正当化されるかは共同体によって異なる。認識的相対主義が相対化するのはこうした認識的事実に限られるので、すべての事実が相対的であるとする事実についての構築主義が誤りだとしても維持可能である。五章でボゴジアンは、ふたたびローティの著作に目を向ける。ローティは、ベラルミーノ枢機卿が聖書の記述に訴えて、ガリレオの望遠鏡による発見(コペルニクスの地動説)を退けた事例を挙げ、ガリレオの観察が地動説を信じる証拠であることをベラルミーノが否定したのは誤りではないと述べる。ローティが言うには、ある証拠が天体にかんするどの理論を正当化するかについての判断(認識的判断)は、ガリレオが採用する認識体系とベラルミーノが採用する認識体系によって異なり、どちらの体系が正しいかにかんする事実は存在しない。六章でボゴジアンは、個々の認識的判断の評価の基準となる認識体系を認識的相対主義者が上手く説明できないことを指摘することで、認識的相対主義の批判を試みる。七章でボゴジアンは、私たちの認識体系をどのように正当化できるかという問題に取り組む。仮に認識的相対主義が誤りで、客観的に正しい認識体系があるとしても、ベラルミーノの認識体系のように私たちと異なる認識体系があるとすれば、ベラルミーノに対して自らの認識体系の正しさをどのように説得できるだろうか。ボゴジアンは、どのような条件のもとで私たちは自らの認識体系の正当性を疑う理由が生じるかを分析することを通して、この問題の解決を試みる。

八章では、合理的理由についての構築主義が取り上げられる。この立場によれば、私たちが信じている物事について、なぜ私たちがそれらを信じているかを説明するには、その証拠だけでは不十分であり、私たちの利害などを持ち出す必要がある。彼が述べているように、もしこの立場が正しく、証拠などの認識的理由だけで特定の信念を抱くように動かされることが不可能ならば、正当化についての客観的な事実があるという、前節で擁護された主張はつまらないものになってしまう。ボゴジアンはクーンやデュエムの過小決定のアイデア――観察の証拠からは候補となる仮説を一つに選び出すことができない――に訴える議論を切り崩すことで、この立場の批判を試みる。

 

著者自身が序言に記しているように、本書は哲学の専門家でない人にもアクセスできるよう、テクニカルな哲学の語彙は最小限にとどめられている。それゆえ、本書を読むうえで前提となる哲学の知識はほとんどない。とはいえ、本書で提示される多くの議論は哲学の専門家にとっても刺激的なものであるはずだ。とりわけ、認識的相対主義に対する批判がなされる六章と七章がそうである。帰納法や演繹的推論など、私たちが用いている認識方法をいかに正当化できるかといった問題は、ボゴジアンがかねてから取り組んできた問題でもあり[1]、そこでの彼の議論はありきたりな相対主義批判とは一線を画している。

 

本書の特徴の一つとして、その射程の広さを挙げることができるだろう。ボゴジアンが論敵として念頭に置いているのはもっぱら、アメリカの「ポストモダニスト」の代表的論者であるリチャード・ローティである(大学院生時代にローティのゼミに出席していたとボゴジアンは序言で述べている)。とはいえ、本書でボゴジアンは特定の論者を攻撃の標的にしているわけではない。彼はローボゴジアンィや、ポストモダン思想を支持するその他の論者の著作を参照しながら、相対主義構築主義を一般的な形で定式化している。そのため、個別の論者に対する批判としては的を外している箇所があるかもしれないが、特定の論者に絞らず一般的な形で定式化したことで、本書が相対主義構築主義をめぐる議論のための「アジェンダ」を設定したと言っても過言ではないだろう。

本書は分析哲学において大きな反響を呼んだ。彼は人文・社会科学のなかで分析哲学は例外的にポストモダン風の相対主義からの影響をそれほど受けていないと書いているが、その分析哲学において相対主義の可能性を探る新たな動きが生じていたのだ。分析哲学の論文誌『フィロソフィカル・スタディーズ』では本書の特集が組まれ、新しい相対主義を先導するジョン・マクファーレンからの批判[2]、そしてそれに対するボゴジアンの応答[3]も収録されている。また、そこに収録されている論文でクリスピン・ライトは、ボゴジアンによる相対主義批判が新たな相対主義(ライトが言うところの「ニューエイジ相対主義」)にも同様に当てはまると論じている[4]。本書の与えたインパクトは分析哲学内部にとどまらない。新実在論ポストモダン思想の乗り越えを目指す新たな哲学的潮流)の旗手マルクス・ガブリエルはドイツ語版のあとがきで、ポストモダン相対主義に対抗する実在論の可能性をめぐる論争の「幕開け」として本書を位置付けている。邦訳の最後にはガブリエルのあとがきも収録されているので、ぜひそちらも読んでほしい。

原文で100ページと少しという分量にもかかわらず、本書の議論がもつスコープは極めて広範である。邦訳をきっかけに、大陸哲学と分析哲学の双方から本書めぐって活発な議論が起こることを訳者の一人として楽しみにしている。

 

 

 

[1] たとえば、Boghossian, P. (2001). “How Are Objective Epistemic Reasons Possible?,” Philosophical Studies 106: 1-40.

[2] MacFarlane, J. (2008). “Boghossian, Bellarmine, and Bayes,” Philosophical Studies 141: 391-398.

[3] Boghossian, P. (2008). “Replies to Wright, MacFarlane and Sosa,” Philosophical Studies 141: 409-432.

[4] Wright, C. (2007). “Fear of Relativism?,” Philosophical Studies 141: 379-390.

 

山名 諒(やまな・りょう)

京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程前期課程在学。専門は分析哲学。特に時間の形而上学、時間の現象学を研究。

 

 

ポール・ボゴジアン『知への恐れ 相対主義と構成主義に抗して』はnyx叢書007として堀之内出版より2021年3月に刊行予定です。