大学・大学院からの留学/河南瑠莉氏/海外進学のススメ

河南瑠莉さんは、現在ベルリン・フンボルト大学の文化科学研究科修士課程に在籍されています。1990年東京生まれで、早稲田大学、ベルリン自由大学で政治経済学・文化政策を学んだ後、現在に至ります。博士課程からの留学などは研究者でよくみられるキャリアですが、大学卒業後の海外進学、修士も海外で、というプロセスは一般にあまり情報が知られていないではないでしょうか。海外進学へ至った道のりと現在の学業についてお話をお伺いしました。

 早稲田大学を卒業されたあと、なぜフンボルト大学へ行くことになられたのでしょうか。

 日本の大学院への進学を考えていた時もあったのですが、私の希望していた文化研究(Kulturwissenschaft)という少し変わった研究アプローチがそもそもドイツ特有のものであったという研究上の理由と、また学費のかからないドイツであれば比較的少ない費用でも渡航できたからという現実的な理由があります。
 日本の学部時代から、ドイツの学術関連の出版社ズーアカンプ(Suhrkamp)社の学術書を愛読しており、そこで所謂伝統的なディシプリンである「美術史」や「文学研究」、英米圏における「カルチュラル・スタディーズ」とも異なる独自の研究のあり方を知り、これまでにない知的な興奮を覚えることがありました。それ以来フンボルト大学はじめドイツ国内の幾つかの大学にコンタクトを取っているうちに、ドイツへの進学が具現化されていきました。

 語学はどのように勉強されたのでしょうか。

 高校の一時期をベルギーの現地校(オランダ語)で過ごしたことがあったため、ドイツ語に関しては比較的困難を感じることなく勉強できました。しかし周りを見ていても、帰国子女だから有利だとか、外国語における言語運用能力が格段高いとかいうことはありません。むしろ研究レベルで使える外国語運用能力を身につけるには、母国語における読み書き能力、論理的思考の基盤の有無の方が重要になるのではないでしょうか。ドイツの大学では読書量・執筆量が圧倒的に多いので、言語に関しては否が応でも鍛えられてしまう環境があると思います。

 ご専門の文化研究(Kulturwissenschaft)という分野について、もう少し教えてください。

 ドイツ的な「文化研究」とは、文学研究や美学美術史、はたまた民族(俗)学や歴史研究と対象をある程度同じとしているものの、何が違うのかというと、先ほどの言葉を使えば「研究のあり方」に要約されると思います。非常に極端に言ってしまえば、ドイツにおける「文化研究」とは、ある特定の文化そのものにまつわる分析をするのではなく、「文化」や「社会」などという人文学が当たり前のように「対象」としてきたものがいかなる偶発性の中で構築されてきたのか、その所以を歴史的・哲学的にたずねていこう、という認識論的な研究になると思います。ドイツの学者アンドレアス・レックヴィッツ(Andreas Reckwitz)はラディカルにも、「文化研究」の直接の対象は「文化ではない」とさえ言っているくらいです。 (もちろん何をもって「文化科学」と規定するかはドイツ国内でも決着がついていない部分があり、ディシプリンの根源を問う行為そのものが「文化科学」的なアプローチであるとも言えます。そのようなパースペクティブの複数性を反映して「文化科学」をKulturwissenschaftenと複数で表記する場合も多くあります。レックヴィッツの立脚点についてはこちらを参照ください。Die Kontingenzperspektive der „Kultur“ – Reckwitz, in: Friedrich Jaeger/Jörn Rüsen (Hg.): Handbuch der Kulturwissenschaften, Band III: Themen und Tendenzen, Stuttgart/Weimar 2004, S.1-20)
 私の場合、文化研究の中でも専門を「美術館・博物館学」としておりますが、特にドイツ系・メディア論の影響が濃厚な先生方のもとで指導を受けてきたことが専門分野を選ぶ経緯となったと思います。個々の作品の美学的価値ももちろんですが、むしろそれよりも作品に価値を付与してしまうメディウムとしての「ミュージアム(美術館・博物館)」、あるいはこうした媒体が行使する「エクリチュール(批評・論文)」という文化的技術が、西洋において形成されてきた過程を自明の歴史としてではなく特殊・偶発的なものとして捉え直すことに関心がありました。ですので、たんに「美術の歴史」や「博物館の歴史」といったディシプリン内在的な問い立てではなく、それが一つの知のエピステーメとして構成され(得)る状況を探るドイツ的な「文化研究」に強く惹かれたため、今の研究科に在籍するに至りました。

 留学に関して、ご家族など周囲の方はどのような反応でしたでしょうか。

 ちょうど周りの学生が新卒である程度良い条件下で就職していく中、進学すること、しかも2年で修了できるのかわからない外国での学位取得を目指すという私のプランを、周囲はあまり具体性あるものだとは思ってなかったのではないでしょうか。MBAなどビジネスに直結するタイプの学位や、医師免許など国家資格が取得できる学位など、目に見える形でのアウトプットがない研究分野でしたので、尚更「なぜ・いま・あえてドイツ」へいく必要があるのか周りから理解してもらうのは難しかったです。幸か不幸か家族からは進路については無干渉でしたので、反対はされませんでした。

 留学の情報はどのように集められたのでしょうか。また、日本の大学や国、周囲の支援はいかがでしたか。

 海外進学については全て自分で情報を集めました。日本の大学では、学内の制度を活かした「交換留学」についてはサポートが充実しているのですが、国外への「進学」となるとなかなか難しいようです。さらに英語圏以外の大学となると、日本の大学にとっても未知数の部分が多いので、私を含め周りの学生もみな、自分で情報収集していたと思います。最近では、文部省の「トビタテ留学」など、日本国内でも海外進学を奨励する制度が整ってきているようですね。
 また、「留学」といいましても、実は私はドイツの大学側からすると「留学生」ではありません。一般の「学生」だけど、たまたま外国籍だったという扱いですね(人口の4人に1人が外国人だと言われているドイツでは、学生の国籍が外国であるということは特別なことではありません)。これは何を意味するかというと、進学の段階にあっても普通の学生と同様に自分で情報を集め、必要であれば受験(研究計画の提出など)をし、受理されたら研究科の要綱に沿って独自の研究スケジュールを計画する、ということです。一部の大学では「外国人学生受入枠」もあるようですが、無い場合は現地の学生と同じ条件での受け入れになります。なので、かなり早い段階で進学希望先の教授にコンタクトをとり、ビザや滞在許可についても各自で大使館などに条件を問い合わせておくことを勧めます。
 私の研究科は受入条件が厳しく、日本の学位や学士時代の成績は認定されたものの、それがドイツの大学と同等の勉強の質を客観的に証明するものではないとの理由で一度は受験を拒否されたり、ハプニングもありました。そのほか制度的な面で問題は諸所あったのですが、ドイツでも日本でも個人的に面識のある先生方からは推薦状を書いてもらうなど非常に親切に対応・応援していただきました。

 なぜ「留学」制度ではない形をとられたのでしょうか。

 ドイツの大学で「留学」というのは、ドイツ国外の大学に所属している学生や研究者がなんらかの派遣プログラムを通じてドイツに数年滞在する形を指すことが多いと思います。ドイツで「留学生」になるには、日本の大学院に在籍しながら単位の一部をドイツの大学で取得するという形が一般的になるのではないでしょうか。確かに留学というのは制度的にコーディネートされているので、派遣・受入の手続きが比較的にスムーズだと思います。受入先でも、あらかじめ担当教員が決まっていたり、ドイツの大学生活を上手くスタートできるように特別のカリキュラムが組まれていたり、「留学センター」などが住居や生活面でのサポートをしてくれることも多いと思います。
外国籍であろうとドイツ籍であろうと一般の「学生」にはそのような特別なサービスはありませんが、その代わり日本の大学を通さずとも正規の学生として現地の教授陣の指導を直接仰ぐことができます。研究分野にもよると思いますが、私の場合は厳密な意味での文化研究がドイツ特有の研究領域であったため直接進学する形を選びました。また進学すれば、ドイツの学生であるので学費が無料になるだけでなく、ドイツの学生や研究者を対象にした研究予算を申請して研究することが可能になります。私も2年前、学内で一時的に批評のプラットフォームを共同で立ちあげたのですが、これも一部フンボルト大学の研究予算で運営し、国際シンポジウムなどを開くことができました。

 今の生活で良いところ、また反対に大変なところはどういったところでしょうか。

 私は事情あって、進学と同時に働きながら大学院に通うことになりましたので、素早く学位を取得し帰国なり博士なり次のステップに行くということはできませんでした。初めは自分の勉強・研究に充分な時間を取れないことに対しフラストレーションを感じることもありましたが、その分ドイツで働き、研究や仕事を通じて多くの方とお会いすることができ、今まで知らなかった働き方や専門分野などたくさんの可能性を見つけることができました。学部時代にはじめて渡独したのが2011年、それ以来ドイツ社会も劇的に変わりましたし、自分自身のライフステージにも変化がありましたが、紆余曲折したからこそ、結果として大学で時間を過ごす以上にドイツという国の文化、ドイツ人の生活や労働の価値観を間際に感じながら生活することができたと思います。

そちらでの勉強の様子、大学の様子などを教えてください。

 大学院なので授業はあまり多くなく、各自の研究が中心となってきます。授業は演習やセミナーが中心で、20枚程度のゼミ論文を6本ほど提出すれば一応、修士論文を残して「必修単位」は比較的早く取得できてしまいます。が、学生はみな自主的に研究グループを作ったり、インターンシップをしたり、かなり忙しく過ごしているように思います。私の場合も始めの2年で単位取得はしておりますので、あとは学生研究アシスタントとして働いたり、ほかにも幾つかプロジェクト単位で働いたりしながら、基本的には図書館で修論を書いて日々過ごしております。卒業の時期も9月に一斉卒業というようなことはなく、個人のスケジュールで動いていますから、大学内では「同期」「ゼミ生」といったユニットはあまりありません。
 日本で研究をしていると、外国の見識を得るということが研究者の一つのタスクでありチャレンジでもあるとも思うのですが、ドイツの大学では英語・ドイツ語・フランス語などを通じてヨーロッパの多くの国の言説が翻訳を待たずともダイレクトに入ってきます。言語の壁による受容期間のギャップが少なく、論文発表やシンポジウムを通じて同時代的な議論に直接参加できるのは大変刺激的ではありますが、言葉がわからないから近年の議論の動向を知らなかったとか、あとは翻訳版だけ読んでいて原書を読んでいない、などというのが許されない厳しさもあります。私は必ずしも原著絶対主義ではありませんが、3ヶ国語以上できて当たり前の人文系の中でフランス語がそこまでできないこと、美術史を紐解くのに不可欠なラテン語の知識を欠いていることなど、少なくとも知へのアクセスの面では日常的にハンディキャップを感じております。

 差支えない範囲で、河南さんの留学仲間・先輩方といった周囲の方の、同じように良さそうなところ、大変そうであったところなど教えてください。

 先ほど「留学」と「海外進学」において制度的な相違点をお話ししましたが、周りを見ていても、この違いは進学時だけでなく海外生活中ずっと離れない問題だと感じました。日本では、後に日本へ戻る際のキャリアを考えて、時期や目標を明確に限定した前者が勧められることも多く、制度的に保証が少なく現地に放り出されてしまう「移住」型の「海外進学」はまだまだ少数派だと聞いておりました。
 しかしドイツへ来てしまいますと、日本人も含め本当に様々な人が多様な目的でドイツに移住しています。現地の大学で学位をとることは研究者になる・ならないにかかわらず、こちらの社会で居場所を見つけるための有益な基盤となっていることは確かです。来てみてわかったことですが、ドイツの大学院に修士課程から来ている日本の人は意外と多いですね。漠然と進学するには言語的にも制度的にもハードルの高いドイツだからこそ、まわりの先輩方を見ていますと目的意識をもって充実したドイツ生活を送っている方が多いと思います。修士から博士へ行かれる方もいますし、修士を取得して現地で就職したり、事業を立ち上げたりアーティストとして活躍する方もたくさんいます。大学を出たあとで「これが正解」という生き方・働き方がない分、皆自由と責任を持ってやりたいことを追求している人が多く、見ていて励みになります。
 大変そうだなと思ったのは、家族の都合や何らかの事情で日本に帰ることを余儀なくされた時にどうするかということですね。当然日本でも、これまでの経験を活かせる職場・研究環境を探すことになるのですが、ここにきて障壁にぶつかったというお話はよくうかがいます。ドイツ人の同僚・研究者に囲まれてドイツで働き、場合によってはこちらで家族をもちながら生活していると、業種や研究が日本に直接関係あるものでない限り、日本における同業の方とのコンタクトがどうしても薄くなりがちです。また、女性であれば、年齢や子供の有無で左右されがちな日本の雇用� ��態に悩んだというお話も伺いました。外国で暮らしながらも将来帰国することを踏まえて日本との縁を構築し続けること、また、簡単に聞こえるかもしれませんが単純に日本語を忘れずに維持し続けること、これは学生や研究者にかかわらずとも「移住」型を選んだ人全てを悩ませる課題だと思います。

 後輩へのアドバイスなどあれば、お願いいたします。

 少し外国で勉学をしてみたいけれど、近い将来は日本で働くことを前提としているのなら、日本の大学に所属を残して、ダブルディグリー制度など何らかの枠組みの中で留学されるのがいいと思います。奨学金などの面でも、ドイツの研究機関に数年以上滞在してからだと日本側の奨学金への応募資格がなくなってしまうこともあるので(ポスドクなどは例外もあるようです)、自分にとって何が最適か調べておくといいと思います。
 しかし、来てみたら、現地で家族ができたり、知らなかった研究分野に出会ってしまったり、想定外のことが起こるのが常ですし、逆にそれによって日本で考えていたキャリアプランより更に大きな目標を描ける人も多いと思います。周りでもドイツの大学を出た人はある程度楽しくドイツ社会の中で居場所をみつけている人が多いので、目標があるのでしたらあまり不安に思いすぎず、おおらかに構えて進学されたらいいと思います。
 またドイツにはいわゆる大学間の「偏差値」のようなものがないので、大学ランキングのようなものは、ほとんどあてになりません。同じ大学でも研究科ごとにカリキュラムも研究予算も雲泥の差です。ドイツの大学に進学される場合は、何を学びたいのかを明確にし、どこでその分野が学べるのか、指導を仰ぎたい教授はどこに在籍しているかを基準に選ばれると良いと思います。

 ありがとうございました!

インタビュアー 小林えみ

河南瑠莉(かわなみ・るり) 1990年、東京生まれ。早稲田大学、ベルリン自由大学で政治経済学・文化政策を学んだ後、ベルリン・フンボルト大学の文化科学研究科修士課程に在籍。ベルリン森鴎外記念館の研究助手として制作・リサーチ・翻訳を担当し、常設展示の新設に携わる。近代思想史、美術館学・博物館学を専攻。訳書に『資本主義リアリズム』
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ブックツリーにて選書をされています
「後期資本主義時代の文化を知る。欲望がクリエイティビティを吞みこむとき」

シノドス寄稿記事
「無数の断片の中に潜り込みながら――ドクメンタのナラティブ・テクニック」(2017年8月25日)
「空き家から生まれる「ポスト成長都市」――ライプツィヒの持続可能なハウスプロジェクト」(2017年10月27日)