学術翻訳書の翻訳のあり方について(朱喜哲氏によるツイート転載)

2020年10月にロバート・ブランダム『プラグマティズムはどこから来て、どこへ行くのか』(上・下、勁草書房)を共訳された朱喜哲(ちゅ・ひちょる)さんが、学術翻訳について2020年10月24日にツイートをされました。学術翻訳の翻訳の進行についてなど、多くの研究者へ示唆に富む内容であったため、ご本人の許可を得て転載、nyx編集担当による、版元の立場からのコメントを付させて頂きました。

朱喜哲氏所感

(以下、連続ツイートを転載)
それにしても学術書翻訳を初めて体験して、過去のあらゆるタイプの仕事のなかでも(自分たち自身の)要求水準を満たす難易度がもっとも高く、ひとえに自分の勉強と日本語哲学への貢献以外にはインセンティブもない仕事なので、あらためてこれだけ翻訳を重ねて来た先人たちへの敬意を新たにしました。

評価は読者に委ねるほかありませんが、今回やってみて学術書翻訳は「①同書の原語での議論状況をフォローできている人」複数が「②対等にレビューしあえるチーム体制」で臨むのがよいなと感じました。その点で、博士後期〜初期キャリアの研究者がチームを組むのがいいと思いますが、いくつか問題も。

ひとつに出版社とのアクセスが限られる点で、これは機会平等の観点はもちろん、アクセスを持つ一部の人が<若手>に下訳を振る構図を生みがちで、場合によっては「搾取」とまで言えそうなケースも知っています。また総じて翻訳の業績評価が低い(複数人の場合はなおさら)ことも逆インセンティブ要因。

翻訳書の質・量的な充実は、当該分野の裾野の広がりを象徴する指標で、哲学の場合には過去、つまりちょうど退官される時期になった団塊世代の先生方の業績量を思うと、今後ここが痩せ細っていくことは残念ながら避けがたいですが、それだけに優れた訳業を業界で顕彰するとか、価値を高めたいですね。

日本翻訳大賞」みたいな活動によって、わたしも手に取る文学系の訳本が増えましたし、業界内の評価が広く可視化されるのは読者にも後進にとっても、極めて有益だと思います。学術書の訳業の評価は、文学とはまた違ってしかるべきですし、選評とかも聴いてみたいところ。


小林えみ所感

 技術書や科学、どんな分野でも翻訳は簡単なことではないと思いますが、とりわけ人文系の学術書翻訳はとても手間のかかる作業のように思います。まず書かれた言語についての理解が必要なことは他分野とも共通のこととして、確定的な事実(例:AさんがB市で〇月〇日講演をした)や数式とも異なる、論理的ではあるけれども、ある種の不確かさも含んだ人の思考を、別の言語(日本語)で、その界隈の日本語の術語も把握しながら、また、ときには元の言語では共有されている文脈や事実関係を補完しなければいけません。西洋哲学思想界隈では欧文からの翻訳が多いですが、欧米圏内もひとくくりにはできないとはいえ、英語をフランス語に翻訳やドイツ語を英語に翻訳するより、日本語というまったく違う言語圏への翻訳は、より大変だということは想像にかたくありません。日本では欧米語のまとまった翻訳の緒をひらいた西周をはじめ(『西周と「哲学」の誕生』をご参照ください)そのような仕事が脈々と積み重ねが、現在の日本での哲学思想の発展に寄与してきました。
 しかし、辞書もないなかで手探りの翻訳をしていた時代もその大変さはあったとはいえ、現状の研究者が置かれている研究以外の校務の多さ、また日本語ネイティブ人口減少(ありていにいえば読者人口の減少、興味関心か否かの問題ではない全体的な売上減少のトレンド)の中で、研究者、また商業出版の版元が、どのくらい「翻訳出版」に力をそそいでいけるかは、昔とは違う困難をかかえ、非常に悩ましいと言わざるを得ません。
 朱さんがお書きになられたように、「要求水準を満たす難易度がもっとも高く」、それでいて「自分の勉強と日本語哲学への貢献以外にはインセンティブもない」。素晴らしいお仕事に版元が経済的なインセンティブを付与することができれば、なお良いことだとは思いますが、上記のトレンドの中ではいずれの版元においても「十分な」お支払、経済的な報いは難しい、というのが率直な現状でしょう(もちろん、例外はあるとして、一般的には)。
 支払が十分とはいえない、ということについては、経費負担として翻訳には原著への翻訳権料の支払いとの兼ね合いもあります。原著への尊敬と尊重は必要ですが、専門度の高い書籍において、文芸や一般書とも共通する相場や契約の文言は見合っているのだろうか、と考えることもあります。ありていにいえば学術の翻訳の契約料はもっと安価で長期間の保証があってもいいように思います。ただし、期間については、事実上の絶版が他社で契約できない、というような弊害をさけるために、長期契約の場合は独占の事項は外す、などが考えられます。
 朱さんが提議された「学術書の訳業の評価」も、時折話題にあがることですが、こうしたことは学術界隈、また出版など関連業界において、真剣に検討はできることだと思います。
 厳しい研究・社会状況の中で、研究者の方たちの方たちが 労苦をひきうけ、世に出された成果は、必ず世の役にたつでしょう(学術の成果が端的な有用性を基準とすべきか、という点は一旦措くとして)。翻訳書が日本語で刊行される意義を、その成果を正当に評価しつつ、今後、その制作環境や評価について、また頒布のされ方について、訳者・版元・読者をまじえ、さらに議論が広がることを願っています。

ロバート・ブランダム『プラグマティズムはどこから来て、どこへ行くのか』(上・下)加藤 隆文/田中 凌/朱 喜哲/三木 那由他
プラグマティズムは死なず! 分析哲学ドイツ観念論を経由して、過去から現在に至るプラグマティズムを生き生きと蘇らせる。

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