斎藤幸平氏ドイッチャー記念賞受賞御祝・コメント

大洪水の前に マルクスと惑星の物質代謝』は斎藤幸平氏の»Karl Marx's Ecosocialism: Capitalism, Nature, and the Unfinished Critique of Political Economy«, Monthly Review Press, 2017 の邦訳増補改訂版です。同書はマルクス生誕200周年である2018年のドイッチャー記念賞(Deutscher Memorial Prize)を受賞しました。
ドイッチャー記念賞は1年に一度「最良かつ最もイノベーティヴな著作(英語作品)」に与えられるマルクス研究界最高峰の賞です。過去にはデヴィッド・ハーヴェイ、エリック・ホブズボーム、マイク・デイヴィスなど世界で活躍する研究者が受賞しています。その栄誉ある賞を斎藤氏は日本人初、歴代最年少で受賞されました。
その受賞に対し、さまざまな方からお祝いが寄せらました。ここにそのお名前、コメントを掲載いたします。

(50音順、敬称略)
伊澤高志(立正大学准教授)斎藤幸平さんのことは以前から存じ上げており、とても優秀な若手研究者であることはわかっていたのだが、その斎藤さんがドイッチャー記念賞を受賞したと聞いた時には、「へえ、さすがだなあ」くらいの感想しか抱かなかった。ドイッチャー記念賞を知らなかったのである。で、調べたところ、すごい賞だった。とんだ失礼をしたものである。英文学研究に携わる者のひとりとして、あのテリー・イーグルトンと同じ賞を受賞した斎藤さんには、もう頭が上がらないと思った。でも、会えば親しく接してくれるので、嬉しい。おめでとうございます。ますますのご活躍を。
磯前大地(くまざわ書店八王子店)

岩熊典乃(大学教員)
岩佐茂(一橋大学名誉教授)
 斎藤幸平さんの“Karl Marx’s Ecosocialism”がドイッチャー賞を受賞したとお聞きしました。ドイッチャー賞は、ハーヴェイら、英語圏内の著名なマルクス研究者に贈られてきた賞ですので、斎藤さんの仕事も国際的に高く評価されたのだと思います。斎藤さんの仕事は、新メガやマルクスが生きた時代の思想状況を踏まえた研究ですので、明らかに、マルクスエコロジー研究を一段高い水準にひき上げました。十分に国際的な賞に値する研究です。マルクスエコロジー研究にたずさわっている者として、斎藤さんの研究が評価され、受賞されたことを喜びたいと思います。
チャールズ・ウェザーズ(大阪市立大学教授)Saito-sensei, Congratulations on your award! We await your next book!
江原慶(大分大学経済学部准教授)斎藤さんと私の出会いは必ずしもcheerfulなものではなかったのですが(笑)、その後斎藤さんの学問的な熱意やお人柄に触れ、今では最初の印象と随分変わっています。私などでは及びもつかない八面六臂のご活躍で、恐れ多いと思いつつも、同年生まれのよしみで勝手に友だちだと称しています。
 日本ではマルクスは、マルクス経済学といわれる、経済学の領域が中心となって受け止められてきました。斎藤さんはそれに対して批判的なお立場だと思いますが、斎藤さんの成果が、日本の研究蓄積を批判的に包摂し、新しい領域を切り拓くマイルストーンになることを確信しています。
 国際的に評価の高い斎藤さんの業績が、ついに日本語で読めるようになります。しかも、本人の手による、より充実した内容で。彼のおかげで、これからどんどんマルクスをめぐる論壇は面白くなっていくでしょう。私も楽しんでいきたいと思います。
大河内泰樹(一橋大学教授)日本のガブリエル、斎藤君のドイッチャー賞受賞、当然とも言えますが、ここからまた今後ますます羽ばたいてくれるものと期待しています。おめでとう!
岡崎佑香(ヴッパタール大学博士課程)ドイチャー記念賞授賞、おめでとうございます。基となったドイツ語版や博士論文、ひいてはそれを可能にしたMEGAの編集などを通じて斎藤さんたちがマルクス研究に果たしてこられた貢献が、国際的に高く評価されましたこと、心からお慶び申し上げます。
岡崎龍(フンボルト大学ベルリン博士課程)受賞おめでとうございます。今後も世界史的個人として活躍してください。
柿並良佑(山形大学講師)著書刊行および受賞、おめでとうございます。これからも新たな時代の思想を切り開いていってください。
河野真太郎(専修大学教授)
エコロジーというのは、単に人間の生産活動から切りはなされた「自然」を守るということではありません。それは生産と消費という人間活動に「自然」 も算入して、その全体性を思考することです。
 私はこのことを、イギリスの作家・文化批評家レイモンド・ウィリアムズの後期の著作(『2000年に向けて』など)で学びましたが、本書に出会って、「物質的代謝」の概念を軸に、マルクスの思想全体をそのような意味でのエコロジー思想として読んでいくその鮮やかさに興奮しました。本書は専門的なマルクス研究にとどまらず、私のように文化論を生業とする者にとっても、非常に豊かなフィールドを開いてくれるものです。
 そのような本書が栄誉あるドイッチャー賞を受賞されたことは、斎藤さんご本人にとってだけでなく、日本の学術コミュニティと、ひいては日本社会全体にとって慶賀すべきことだと思います。おめでとうございます。受賞をきっかけに、本書が有益な形で受容されていくことを願っています。
斎藤哲也フリーランス編集者&ライター)斎藤幸平氏の論稿や訳業を目にするたび、単著邦訳版を早く読みたいと心待ちにしてきた。しかも、ドイッチャー記念賞受賞というのだから、期待はいやがおうにも膨らむばかり。この10連休の課題図書は『大洪水の前に:マルクスと惑星の物質代謝』で決まりだ!
酒井隆史大阪府立大学教授)
佐々木雄大日本女子大学人間社会学助教
佐々木隆治(立教大学経済学部准教授)
斎藤くんの新著は間違いなく、これまでのマルクス研究のなかでも最も水準の高いものの一つであり、私の中ではベスト。五年ほど前に本書のもとになった博論の草稿を読んだ時の衝撃が忘れられない。改めてドイッチャー賞受賞、おめでとう!
鈴木慎二(BOOKS隆文堂)
田中東子(大妻女子大学文学部教授)
中山永基(岩波書店編集者)
いち早く世界で評価された斎藤さんが切り拓く理論的地平は、日本を生きる私たちの日常とつながってるーーそのことを待望の新著『大洪水の前に』で体感できるはず。
西亮太(中央大学法学部准教授)
研究者にとって世界は解釈するだけでは不十分であり、むしろ世 界を変えていかねばならないのだとすれば、地道な文献学的探求の成果の上にこれまでとは異なったマルクスを打ち立てる本書は、変革に向けられたものなのだと思います。本書が広く読まれ、議論を起こし、大きなうねりの発端となることを楽しみにしています。ご出版、おめでとうございます。
藤田孝典(NPO法人ほっとプラス代表理事権威あるドイッチャー賞の受賞おめでとうございます。日本のマルクス研究の水準の高さを改めて示す功績に敬意を表します。
私たち社会活動家、ソーシャルワーカーも先駆的なマルクス理論研究に実践や運動が負けないように、今後も取り組んでいきます。
百木漠(立命館大学専門研究員)ドイッチャー記念賞受賞、素晴らしい快挙と思います。今後も益々のご活躍を期待しております。
結城剛志(埼玉大学大学院人文社会科学研究科教授)今年の最良の一書です!
若森みどり(大阪市立大学教授)私は、カール・ポランニーを研究してきた。本書には、20世紀前半のポランニーが嫌悪し距離を置いていたような「教条主義的で決定論的なマルクス主義」とは全く異なる、マルクス自身の試行錯誤の思想形成が活き活きと現れている。マルクスの国際的な研究拠点やそのネットワークのなかで鍛えられ、若くして世界を代表するマルクス研究者となった著者 斎藤幸平氏。斎藤氏によれば、国際的なマルクス研究プロジェクトの方針も揺れ動いてきたが、ようやく、マルクスの晩年に格闘していたテーマ(「抜粋ノート」)が、現在刊行中の新MEGA第4部門に収録されることになった(斎藤氏は、その新MEGA第4部門の編纂プロジェクトに関わっている)。本書は「抜粋ノート」を使いながら、資本主義が生みだした資本主義を超える「大洪水」――1%の富者は危機を脱出する準備をおそらく始めているが、99パーセントの人間は取り残され、生存基盤を失うような、「自然と人間の物質代謝の破壊」――の問題に、晩年のマルクスが挑んでいた姿を見事に浮かび上がらせる。労働(これもまた人間活動の一部である)だけでなく、自然、土地、資源の資本主義的な収奪は、自然破壊や人間の破壊を起こしている。それと同時に、それを解決するための新たな技術革新や市場の仕組みを作り、資本主義がつくりだす問題自体さえ、資本主義の原動力となる。そのような資本主義は、地球が破壊されることが明らかになったとしても、「痛み」を感じることはないシステムなのだ。本書のもともとのドイツ語版は、英語版でも刊行され、そして国際的に優れたマルクス研究に贈られるドイッチャー賞を受賞した。斎藤幸平さん、受賞、および日本語版の刊行、おめでとうございます。日本のマルクス研究も、またマルクス受容も、大きく変わっていくと思います。

「新たな時代のマルクスよ/これらの盲目な衝動から動く世界を/素晴らしく美しい構成に変へよ/宮沢賢治

#nyx5号 第一特集「聖なるもの」合評会開催のお知らせ

日時 12月1日(土)10:00-12:05
会場 東大本郷キャンパス法文一号館215教室

入場無料・事前申込不要

プログラム
趣旨説明
コメント:飯島孝良氏(親鸞仏教センター)
 レスポンス
コメント:藁科智恵氏(東京外国語大学
 レスポンス
(休憩 10分)
コメント:佐藤啓介氏(南山大学
 レスポンス
質疑応答

主催 江川純一・佐々木雄大、上廣倫理財団研究助成「「聖なるもの」の起源と現代の生における可能性」
連絡先 東京大学宗教学研究室 03-5841-3765

『nyx』第5号

《イベント》 大阪市立大学 #Marx200 記念シンポジウム

マルクス生誕200周年を記念したシンポジウムが開催されます。

日程 2018年11月24日(土)
時間 14~18時
会場 大阪市立大学学情センター1階文化交流室(アクセスマップ、住所:〒558-8585大阪市住吉区杉本 3-3-138、最寄り駅:JR「杉本駅」より徒歩約5分、地下鉄「あびこ駅」徒歩20分、「あびこ駅」からタクシー1メーター分程度)

入場無料、申込不要

資本論』第一巻 初版(福田文庫所蔵)特別公開あり

プログラム
 14:00~14:45 斎藤幸平「日本『資本論』物語―解釈としての翻訳」
 14:45~15:30 廣瀬 純「「コミュニズムという幽霊」の現在」
 15:30~15:45 休憩
 15:45~16:30 結城剛志「アナザーマルクス―21世紀のマルクス研究の地平」
 16:30~17:15 百木 漠「いまマルクスを読む意味」
 17:15~18:00 ディスカッション
 各発表は講演30分、質疑応答15分を予定しています

登壇者プロフィール(50音順)
斎藤幸平(さいとう こうへい)大阪市立大学大学院経済学研究科・経済学部准教授。著書に"Natur gegen Kapital Marx’ Ökologie in seiner unvollendeten Kritik des Kapitalismus",Campus Verlag, 2016. 他。

廣瀬 純(ひろせ じゅん)龍谷大学経営学部教授。専門は現代思想・映画批評。著書に『シネマの大義』『資本の専制、奴隷の叛逆』『暴力階級とは何か』『絶望論』『シネキャピタル』『蜂起とともに愛が始まる』『アントニオ・ネグリ』『美味しい料理の哲学』他。

百木 漠 (ももき ばく)
立命館大学専門研究員。アーレントマルクスを中心とした労働思想を研究している。専門は社会思想史。京都大学人間・環境学研究科博士後期課程修了。著書に『アーレントマルクス:労働と全体主義』(人文書院、2018年)がある。

結城 剛志 (ゆうき つよし)
埼玉大学大学院人文社会科学研究科准教授。1977年生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了(博士(経済学))。著書に『労働証券論の歴史的位相:貨幣と市場をめぐるヴィジョン』(日本評論社: 2013年)他。

主催 大阪市立大学経済学会

お問い合わせ info@horinouchi-shuppan.com

資本論』第一巻 初版(福田文庫所蔵)特別公開について(追記)
11月5日(月)~12月2日(日)まで、大阪市立大学図書館内にて公開されています。大阪市立大学学生・教職員は通常の入館で御覧いただけます。
学外の方も入館は可能ですが、下記、入館のお手続きが必要となります。
  学外の方へ(学術情報総合センター)
上記イベントの際はイベント用入場として上記の一般手続きなしの入館となります。


#nyx5号 第一特集「聖なるもの」のためのブックリスト

『nyx』第5号「聖なるもの」特集の関連書ブックリストです。本特集を読む前/読んだ後の勉強や、また書店さんのフェアや関連書を並べるご参考としてご活用ください。(選書:佐々木雄大

◆ 入門――〈聖なるもの〉について簡単に知るための入門書
1.ジャン=ジャック・ヴュナンビュルジェ『聖なるもの』川那部和恵訳、文庫クセジュ、2018年。
2.華園聰麿『宗教現象学入門:人間学への視線から』平凡社、2016年。
3.金子晴勇『聖なるものの現象学―宗教現象学入門』世界書院、1993年。

◆ 起源――〈聖なるもの〉概念の形成を知るための基本書
1.ロバートソン・スミス『セム族の宗教』(上・下)永橋卓介訳、岩波文庫、1941年。
2.オットー『聖なるもの』久松英二訳、岩波文庫、2010年。/華園聰麿訳、創元社、2005年。
3.デュルケーム『宗教生活の基本形態』(上・下)山崎亮訳、ちくま学芸文庫、2014年。
4.ユベール/モース『供犠』小関藤一郎訳、法政大学出版局、1993年。
5.エリアーデ『聖と俗―宗教的なるものの本質について』風間敏夫訳、法政大学出版局、1969年。
6.ファン・デル・レーウ 『宗教現象学入門』田丸徳善・大竹みよ子訳、東京大学出版会、1979年。

◆ 展開――現代における〈聖なるもの〉理論の応用・発展
1.バタイユ『宗教の理論』湯浅博雄訳、ちくま学芸文庫、2002年。
2.カイヨワ『人間と聖なるもの』塚原史・小幡一雄・守永直幹・吉本素子・中村典子訳、せりか書房、2004年。
3.トーマス・ルックマン『見えない宗教―現代宗教社会学入門』 赤池憲昭訳、ヨルダン社、1976年。
4.ピーター・L・バーガー『聖なる天蓋―神聖世界の社会学』薗田稔訳、新曜社、1979年。
5.ルネ・ジラール『暴力と聖なるもの』 古田幸男訳、法政大学出版局、1982年。
6.メアリ・ダグラス『汚穢と禁忌』 塚本利明訳、ちくま学芸文庫、2009年。
7.タラル・アサド『世俗の形成――キリスト教イスラム、近代』中村圭志訳、みすず書房、2006年。
8.ジャック・デリダ『信と知:たんなる理性の限界における「宗教」の二源泉』湯浅博雄・大西雅一郎訳、未来社、2016年。
9.アガンベンホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生』 高桑和巳訳、以文社、2007年。
10.ジャン=ピエール・デュピュイ『聖なるものの刻印 科学的合理性はなぜ盲目か』西谷修森元庸介・渡名喜庸哲訳、以文社、2014年。
11.ブリュノ・ラトゥール『近代の〈物神事実〉崇拝について:ならびに「聖像衝突」』荒金直人訳、以文社、2017年。

◆ 研究――さらに〈聖なるもの〉を詳しく知るために
1.フロイト『トーテムとタブー』須藤訓任・門脇健訳『フロイト全集』第12巻、岩波書店、2009年。
2.フランツ・シュタイナー『タブー』井上兼行訳、せりか叢書、1970年。
3.ヴィンデルバント『歴史と自然科学・道徳の原理に就て・聖―「プレルーディエン」より』 篠田英雄訳、岩波文庫、1929年。
4.シェーラー『倫理学における形式主義と実質的価値倫理学』吉沢伝三郎・飯島宗享・小倉志祥訳『シェーラー著作集』第1~3巻、白水社、1976~1980年。
5.バンヴェニスト『インド=ヨーロッパ諸制度語彙集 2 王権・法・宗教』 前田耕作・蔵持不三也他訳、言叢社、1987年。
6.ヨハン・フリードリヒ・ハイラー『祈り』深澤英隆・丸山空大・宮嶋俊一訳、国書刊行会、2018年。
7.ロベール・エルツ『右手の優越―宗教的両極性の研究』吉田禎吾・板橋作美・内藤莞爾訳、ちくま学芸文庫、2001年。
8.ジョルジュ・デュメジルデュメジル・コレクション』第1巻、丸山静・前田耕作訳、ちくま学芸文庫、2001年。
9.ドゥニ・オリエ編『聖社会学』兼子正勝・中沢信一・西谷修訳、工作舎、1987年。
10.レヴィ=ストロース『野生の思考』大橋保夫訳、みすず書房、1976年。
11.藤原聖子『「聖」概念と近代―批判的比較宗教学に向けて』 大正大学出版会、2006年。
12.江川純一『イタリア宗教史学の誕生:ペッタッツォーニの宗教思想とその歴史的背景』勁草書房、2015年。
13.奥山史亮『エリアーデの思想と亡命』北海道大学出版会、2012年。
14.『岩波講座 日本の思想 第8巻 聖なるものへ』岩波書店、2014年。
15.『岩波講座 現代社会学 第7巻 〈聖なるもの/呪われたもの〉の社会学岩波書店、1996年。

#nyx5号 第二特集「革命」主旨文公開

 「政治」という言葉で、何を思い浮かべるだろうか? 民主主義、選挙、国会、デモ……かつては、そのリストのなかに間違いなく「革命」も含まれたにちがいない。だが近年、政治と革命が正面から論じられることは稀になっている。じっさい、昨年はロシア革命一〇〇周年であり、今年はマルクス生誕二〇〇年、一九六八年の五月革命から半世紀であるにもかかわらず、革命がそれほど注目されているようにはみえない。「現存社会主義」であったソ連が崩壊し、九〇年代以降グローバル資本主義の勝利が叫ばれるなかで左派は影響力を失い、革命をめぐる言説や実践は背景に退いていった。一般的なイメージでは、革命はヘルメットとゲバ棒を身に着けて、バリケードを築けば、社会が変わると考える馬鹿げた妄想と捉えられているのかもしれない。トランプの当選、ブレグジット、安倍政権の暴走といった現代政治の文脈で重要なのは、そのような妄想ではなく、民主主義の制度設計であり、立憲主義だというわけだ。もちろん、そうした指摘の正しさは疑いようがない。だが同時に、ここで念頭に置かれている「革命」の表象はステレオタイプに満ちていて、貧しい。
 歴史においては、革命はより切迫した問題であり、思想もまた革命を繰り返し扱ってきた。ヘーゲルフランス革命レーニンロシア革命アーレントアメリカ革命、フーコーイラン革命など、いくつもの例をあげることができるだろう。革命は自由と平等を論じる際に不可欠な役割を果たしてきたのみならず、主権、暴力、民主主義をめぐる様々な問い誘引してきたのである。
 革命は暴力的で、破壊的である。だからこそ、人々はそれを民主主義との関連で論じることを望まないし、革命などというものが存在することも認めようとしない。それは左派でさえもそうである。マルクス主義の影響を受けたエルネスト・ラクラウやジャック・ランシエールといった左派は「ラディカル・デモクラシー」を唱え、ユルゲン・ハーバマスに代表される熟議型民主主義を批判している。だが他方で、政治的なものを「出来事」としてとらえていることによって、革命はもはや革命として論じられることなく、デモクラシー内部での出来事へ解消されてしまう。革命はそのポテンツを剝奪され、デモクラシーという名のもとで馴化されているのだ。こうした革命の否認には、独裁やテロルといったやっかいな否定性が革命にとり憑いており、そのことがデモクラシーとの緊張関係を生んでいるという事実に対する暗黙の承認があるのかもしれない。だが、このような否定性から目を背けてはならない。このような否定性は、既存の社会的諸関係にはとらわれない、別の社会のあり方の可能性を示唆してもいるのだから。
 われわれはソ連崩壊後、革命なきポスト共産主義の時代に生きてきた。だが人類史的にみれば、革命の時代はいつ回帰してきてもおかしくない。事実、世界的にみれば、オキュパイ・ウォールストリート、15M運動、アラブの春といった新たな運動の台頭をめぐって、「革命」が再び論じられるようになっている。そのような現状も踏まえ、本特集は、革命の思想史を辿ることによって、自由や平等をめぐる問いを歴史的に再構築していくことにしたい。

斎藤幸平

『nyx』第5号(2018年9月20日発売)

斎藤幸平 一九八七年東京生まれ、大阪市立大学経済学部准教授。著書にNatur gegen Kapital: Marx’Ökologie in seiner unvollendeten Kritik des Kapitalismus(Campus Verlag, 2016.) 等。

#nyx5号 第一特集「聖なるもの」主旨文公開

 宗教の本質、世俗を超越した次元、人間の生における至上の価値、いわく
言いがたい深遠にして崇高なもの―、ひとはおよそこれらのものを〈聖な
るもの〉と呼ぶ。
 〈聖なるもの〉(the sacred, le sacré, das Heilige)とは「聖なる」を意味する形容詞sacred, sacré, heiligを実詞化したものであり、その対義語は「俗なるもの」(the profane, le profane, das Profane)である。それは一般的に宗教の領域に属するものや日常の秩序から隔絶したものを指すために用いられる。具体的に言えば、神、聖域、教会や寺社仏閣、聖人や人格一般、宗教的儀礼、芸術作品といったもののうちに〈聖なるもの〉が認められる。
 とはいえ、〈聖なるもの〉という概念はこれまであまりにも無反省に用いられてきた。それは一方で、一九世紀から二〇世紀にかけて歴史的に形成されてきた概念であるにもかかわらず、その経緯は顧みられることなく、あたかもア・プリオリであるかのように自明視されている。〈聖なるもの〉は宗教的なものを規定する本質(オットー、デュルケーム)だとか、世界を秩序付ける実体(エリアーデ)だといったように扱われてきたのである。
 それはまた他方で、芸術やエンターテイメントを批評する際に、あるいは、特異な体験を表現する際に、何らか神秘的なものや超越的なもの、言語化不可能なものを指さ すために用いられることもある。そのとき、〈聖なるもの〉という語は、その内実を十分に分別されることなく、何でも放り込める「ゴミ箱概念」としてしばしば便利に使われてしまう。
 しかし、古くは宗教現象を研究するために「聖」概念は必要ないとしたペッタッツォーニや、「宗教」概念は西洋近代的なものにすぎないとする近年の宗教概念批判(J・Z・スミスやT・アサドら)を通じて、そうした素朴な〈聖なるもの〉理解がもはや失効していることは、宗教学においては周知の事実である。
 では、こうした議論を踏まえた上で、それでもなお〈聖なるもの〉という
概念は人間や社会、宗教にとって重要な意義をもちうるのだろうか。それと
も、単なる虚構にすぎず、捨て去られるべきなのか。もし仮に世俗化の時代
とされる現代にあっても何らかの可能性が残されているとするなら、それは
どのような途でありうるのだろうか。
 本特集では、〈聖なるもの〉を実体として前提とすることなく、あくまでも歴史的に形成されてきた概念として批判的に検討する。まず、〈聖なるもの〉をめぐる一般的な学説史を確認した上で、次に、哲学、神学、宗教学、解釈学、社会学文化人類学表象文化論、認知宗教論、日本思想史といったそれぞれの見地から、この概念を反省的に捉え返し、さらにその先へと議論を展開していく。このように根源的に問い直すことを俟って初めて、現代社会における〈聖なるもの〉の限界と可能性も明らかになるだろう。

江川純一・佐々木雄大

『nyx』第5号(2018年9月20日発売)

江川純一 一九七四年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科助教。専門は宗教学宗教史学。著書に『イタリア宗教史学の誕生―ペッタッツォーニの宗教思想とその歴史的背景』、共編著に『「呪術」の呪縛【上・下巻】』等。

佐々木雄大 一九七八年生まれ。日本女子大学助教。専門は倫理学。論文に「バタイユにおける聖と俗の対立の問題」 『倫理学年報』二〇一八年。「タブーは破られるためにある―エロティシズムにおける禁止と侵犯」『nyx』二号、二〇一五年、「〈エコノミー〉の概念史概説―自己と世界の配置のために」 『nyx』創刊号、二〇一五年、等。共著に『近代哲学の名著』中公新書、二〇一一年、『現代哲学の名著』中公新書、二〇〇九年、等。


『nyx』第5号刊行予告

8月末本出来予定、9月上旬から流通開始予定となります。

『nyx』第5号 書誌情報


【第一特集「聖なるもの」 主幹:江川純一×佐々木雄大】佐々木雄大 序文「〈聖なるもの〉のためのプロレゴメナ

江川純一×佐々木雄大 対談「〈聖なるもの〉と私たちの生」

馬場真理子「空虚な「聖なるもの」」
原俊介「オットーの聖なるものと魂の根底(Fundus Animae, Seelengrund)――ドイツ神秘主義と近代認識論(心理学・論理学・美学)の系譜から」
江川純一「ペッタッツォーニの「サクロロジア」」
佐々木雄大「堕天使と悪魔の諍い――カイヨワとバタイユとの〈聖なるもの〉の差異」

ミルチャ・エリアーデ、奥山史亮 訳「原始神話体系」
奥山史亮「原始神話体系」解題

溝口大助「聖なるものと事物――デュルケム学派における聖なるもの」
橋本一径「イメージと聖なるもの」
藤井修平「宗教認知科学CSR)における脱神秘化された「聖なるもの」」

ドミニク・ヨーニャ=プラット、小藤朋保 訳「聖――形容語から実詞」
ダニエル・エルビュ゠レジェ、田中浩喜 訳「社会学者と聖なるもの」
鶴岡賀雄「「聖なる(もの)」という言葉を使うために」

鴻池朋子×江川純一 対談「アート・魔法/呪術」

【第二特集「革命」 主幹:斎藤幸平】
深井智朗「宗教改革は「革命」なのか」
鳴子博子「ルソーの革命とフランス革命――暴力と道徳の関係をめぐって」
石川敬史「収斂としてのアメリカ革命」
斎藤幸平「革命と民主主義――マルクス対ポスト・マルクス主義
塩川伸明「ポスト社会主義の時代にロシア革命ソ連を考える」
酒井隆史「各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて――コミュニズムはなぜ「基盤的」なのか?

マルクス・ガブリエル来日関連記事】
千葉雅也×マルクス・ガブリエル 対談 「新実在論」「思弁的実在論」の動向をめぐって
マルクス・ガブリエル、加藤紫苑 訳 「なぜ世界は存在しないのか――意味の場の存在論と無世界観」

【単発記事】
飯田賢穂 レポート「なぜ、哲学なのか? 発言する哲学、越境する哲学」