#DerridaToday2018 リポート/吉松覚氏/若手研究者が国際カンファレンスに参加する意義2

カナダのモントリオールでカンファレンス「6th Derrida Today Conference 2018 – CFP」が2018年5月23~26日に開催されました。翻訳『ラディカル無神論 デリダと生の時間』(法政大学出版局』などでご活躍の研究者、吉松覚さんにカンファレンスの様子とご自身の研究などについてお伺いしました。

 カナダのデリダ・トゥデイでの発表、おつかれさまでした。これからそのご発表についてお伺いしたいのですが、まずは吉松さんご自身のことをお伺いしても良いでしょうか。

 1987年生まれで、京都大学卒業後、そのまま京大の大学院に進学しました。学振の特別研究員に採用されて、博士課程2回生の秋からパリ西大学に留学しました。そこで修士課程を終えて、今はフランス政府給費留学生として引き続きパリ西大学の博士課程に所属しています。専門はフランス思想と現代哲学です。

 ご専門については、どういう経緯で決められたのでしょうか。

 遡ると15年くらい前になります。高校1年生のときに現代文の宿題をしていて夜更かしをしているときに気分転換にテレビをつけてみたところ、フジテレビ系列の『お厚いのがお好き?』という、身近なもので哲学書を解説する番組がやっていました。確かそのとき見たのはソシュールの『一般言語学講義』の回だったと思います。それで面白いな、と思い当初は大学に行ったらソシュール言語学をやりたいなと思っていました。他にもドゥルーズガタリの『アンチオイディプス』の回があったのですが、放映後に高校の図書室で『アンチオイディプス』を見つけて開いてみたのですが、全くわからなくて(笑)。フロイト読まずにこれを読んだので、やれシュレーバー控訴院長だの、やれ〈それ(サ)〉だの言われても、という感じで。ただ、その後現代文で鷲田清一さんや、柄谷行人さん、野家啓一さん、大澤真幸さん、坂部恵さんといった方々の文章を読み、思想って面白いなと思ったのがきっかけでしたかね。それでも学部に入ったらその志もどこへやらという感じで遊んでしまい、もっと勉強しておけばよかったと今になって後悔しています。

 バランスだと思いますが、学生時代の楽しさもあると思いますので、遊ぶことも大事だと思います(笑)。国外への進学はすぐに決められたのですか? また準備というか、アドバイスは周囲からあったのでしょうか。語学は得意でしたか?

 そんなこんなで学部に入った頃から研究者を考えていたので留学についてはぼんやりと、博士課程のうちに行くのかな、と思っていました。ただ、当時はどのような先生がいるのかもわからずパリ第8大学やパリ第4大学のサイトを見ては、特に何も具体的なことが見えてこないまま、という感じでした。文学部の仏文科にも出入りしていたのですが、修士課程のときに仏文の仲の良い先輩から後にパリでの指導教官となるペーター・サンディさん(注・現ブラウン大学比較文学科教授)を紹介してもらい、それから2年間かけてペーターさんと留学の打ち合わせなどをしました。
 語学については受験英語は得意だったのですが、大学受験のときからリスニングは苦手で、フランス語でも聞き取りは苦手でした。そのため留学直前の半年くらいは、France2という国営放送のサイトでニュース映像を見て内容を毎日まとめたり、France Cultureというフランスのインターネットラジオで哲学の講座を聞いたり、あるいはよくCMで見るような聞き流しも、しないよりはましと思い暇を見つけてはBGM代わりにフランス語の映像やラジオを流したりと泥臭くやりました。語学が得意でなくてもしっかり努力すればその言語のリズムが染みついてきて、なんとかやっていける程度にはなれると思います。あとはフランスに来たら好むと好まざるにかかわらずフランス語にさらされ続けるので、フランス語の伸びは日本にいたとき以上のものになると思います。

 ありがとうございました。さて、デリダ・トゥデイの報告に関してですが、まずこの団体についてご紹介頂けますでしょうか。ホームページ(http://derridatoday.com.au/)を見ると、オーストラリアで二人の研究者が2008年に設立、マッコーリー大学のシンポジウムから始まったとあります。ジャーナルも発行しているようですが、これはいわゆる学会なのでしょうか。

 そうですね、学会の定義によると思います。日本だと会員制で、年会費を払ってそれがジャーナル出版や会場費、人件費に当てられるので当日の参加費が低く抑えられています。それに対しデリダ・トゥデイは会員制ではないため、毎回参加者が日本円で1〜2万円程度の参加費を払って参加します。フランスでもコロキウムやカンファレンスはそのたびごとにテーマ別で形成されるので、会員制を取らないことがほとんどだと思います。ただ欧米式だとより開かれた学会になる反面、一回参加して参加者とそれ限り会わないということも起こりうるので、会員制は一概に良し悪しは言えません。そういう意味で、日本における学会と持つ意味が異なっている気もします。

そもそも日本とは学術団体や発表の場の主な運営方法が異なるということですね。参考までに、デリダの他の主要な学会があれば教えてください。また、海外へいきなり参加は難しいと思うので、国内でデリダの研究にアクセスしたい場合、例えばこれから勉強を考えている学部生・修士生、研究に興味のある一般の方が参加(見学)できる学会や発表の場があれば教えてください。

 国外を見ても、デリダをめぐってこのように定期的にカンファレンスを開くのはなかなかないですね。強いてあげるなら私が今参加しているパリでのデリダの読書会Lire Travailler Derridaくらいでしょうか。この団体は数年前にパリを中心にデリダを読む大学院生が立ち上げた団体で、年度ごとに読む本を決めて講読しています。今年度後半はLa carte postale所収の « Spéculer—sur Freud »を、今年度前半と昨年度は死刑論セミナー2つ、その前がGlas、さらにその前が『友愛のポリティックス』でした。私も先月« Spéculer »の第3節のレジュメを切りました。それでそれぞれの本を読み終えると研究集会を開き、メンバーの希望者が口頭発表をします。今年も6月末に死刑論のワークショップがありますね。
 それ以外は定期的なカンファレンスを開く団体は聞いたことがないですね。国内であれば発表者を公募する学会だと日仏哲学会や表象文化論学会、日本フランス語フランス文学会、日本哲学会あたりはたまにデリダについての発表を見ますね。日本現象学会や宗教哲学会でも場合によってはデリダについての発表があるかもしれません。国内外問わず著名な研究者の招待講演という形なら脱構築研究会がほぼ毎年何かしらのイベントをやっています。こちらも開かれた会なので、一般の方も聞きにいらっしゃることはできると思います。

吉松さんはこのカンファレンスに参加されるのは何回目でしょうか。またこの団体を知ったきっかけはなんでしょうか。

 参加は三度目、発表者としては二度目でした。デリダ・トゥデイは修士課程の頃に宮﨑裕助さん、西山雄二さんがカリフォルニア大学アーヴァイン校での大会の様子をtwitterで伝えているのを見て、いつか行ってみたいなと雲の上の世界のように思っていました。翌年に立命館にフランス人のヘーゲル研究者が講演にいらしたさいに、その方を日本に招いた西山さんから懇親会の席で「きみ、来年のデリダ・トゥデイ来ない? 来年ニューヨークなんだけど」と誘われ、とにかく様子だけ見に行こうと思い参加したのが始まりですかね。そのときはいわばお客さんとしての参加だったのですが、私が共訳を企画して昨年翻訳が出た『ラディカル無神論』(法政大学出版局)の著者のヘグルンドさんと直接お話しできたり、いま草稿調査を行っているデリダの講義録『生死〔La vie la mort〕』の存在を知れたりと、刺激を受けることができました。それでその次のロンドン大会は発表にアプライしてみようと思い立つにいたりました。

今回はどのような発表をされたのですか。

 まさしく『生死』講義のなかのある箇所でフランシス・ポンジュの『寓話』という詩を分析しているのですが、そこでの分析と他の著作でデリダがこの詩に対して行っている分析を比較し、デリダにおいて生命の起源という不可能な問いはいかに答えが与えられうるのか、という発表でした。パネルを組織し、立命館大学の亀井大輔先生、大阪大学日本学術振興会の小川歩人くんと3人での発表でした。

会場の反応はいかがでしたでしょうか。

 諸般の事情から発表の3週間くらい前に発表テーマを変更したので、終始綱渡り状態でした。それでも、この草稿の第一人者で、最近"Biodeconstruction"(SUNY PRESS)という本を上梓されたフランチェスコ・ヴィターレさんに発表後の昼食の席で「Très bien !」とお言葉をかけていただいたのと、初日の最初のパネルのなか30人程度の教室に立ち見が出るほどの聴衆で、のちに何人かの参加者から「発表面白かったよ!」と声をかけていただけたので、結果オーライという感じでしょうか。会場での質疑応答も小川くんを中心に白熱して、パネル全体としてもうまく行ったように思います。この試みに乗ってくれた亀井先生、小川くんには感謝です。

 他の方の発表で、面白かったものなどありますか?

 基調講演は大御所の発表だけあって聞き応えのあるものが多かったですが、特にド・ポール大学のエリザベス・ロッテンバーグさんの精神分析脱構築についてのご講演とベルリン芸術大学のアレクサンダー・ガルシア=デュットマンさんの差延についてのご講演は自分の研究テーマと近く、刺激的でした。公募発表だと先に言及したヴィターレさんのオートポイエーシスに関わるご発表、あと近々私も取り組みたいと思っている、デリダシャンタル・ムフの比較研究の発表などもあって、興味深く拝聴しました。

 その他に滞在全般において印象に残ったことなどあれば教えてください。

 滞在全般ですか。そうですね、モントリオールケベックの中心地ということもありフランス語が通じる地域だったのが印象的でした。道の看板なんかもフランス語で。私は英語よりかはフランス語の方がまだ話したり聞いたりができるのでありがたかったです。そのような街での開催とあって今回のデリダ・トゥデイは初めての英仏バイリンガル開催でした。それもあってヨーロッパからの参加者の顔ぶれが変わった気がします。次回はマルセイユでの開催ですし、このバイリンガル開催は今後も続けていってほしいですが、開催がフランス語圏に限定されるのでその次以降は難しいかもしれません。
 最後にデリダ・トゥデイはデリダの専門家だけでなく、デリダ以外の研究をしている人でもデリダ(もしくは他の脱構築の思想家たち)を参照する発表をして歓迎されています。また、修士課程や博士課程の早い年次の学生も多く発表者として参加しています。ですので日本の皆さまも、少しでも脱構築思想に興味があれば参加を考えてみてください。きっと新たな発見に恵まれた4日間になると思います。

ありがとうございました!

インタビュアー 小林えみ

吉松覚(よしまつ・さとる) Université Paris Ouest, Nanterre la Défense博士課程在籍。1987年生まれ。翻訳に『ラディカル無神論 デリダと生の時間』(法政大学出版局、2017年)等、主な論文に«The Time is out of Joint »--sur l'imminence de la justice chez Derrida, 2016 等。
リサーチマップ

吉松さん専門分野で初学者にお薦めの本3冊

1:高橋哲哉デリダ 脱構築と正義』、講談社学術文庫、2015年
2:マーティン・ヘグルンド『ラディカル無神論 デリダと生の時間』吉松覚・島田貴史・松田智裕訳、法政大学出版局、2017年
以上二つを読解すればデリダがどのような問題意識を持った思想家かある程度つかめると思います。東浩紀さんの『存在論的、郵便的』(新潮社)も素晴らしい著作であることに間違いなのですが、『批評空間』をはじめとした日本の批評の磁場を知っていないと難しいかもしれないと思い、今回は泣く泣く推薦書には含めませんでした。『存在論的、郵便的』は上記二冊に加えて宮﨑裕助さんの『判断と崇高 カント美学のポリティクス』(知泉書館)を読んでから読むと面白い発見があるのではないかと思います。
3:ジャック・デリダ差延」、『哲学の余白 上』、高橋允昭・藤本一勇訳、法政大学出版局、2007年
上にあげた2(+2)冊が優れたデリダ研究書であることは論を俟たないことですが、やはりデリダ本人のテクストを読まなければ意味がありません。「差延」論文はデリダ自身の思想のさまざまなモチーフが紙背にひそんでいます。ニーチェハイデガーフロイトレヴィナスヘーゲルソシュールら、デリダのみならず現代思想に影響を与えた思想家が言及され、「差延」、「間隔化」、「イメーヌ」、「パルマコン」、「エコノミー」、「痕跡」などデリダにおける主要な概念も多く論じられています。短いテクストながらもこれだけの要素があるので、私自身未だに解釈がしきれない箇所もあります。それでもデリダの思考がもつリズムや息遣いを、この圧倒的な情報量と熱量を含んだテクストのうちに感じてもらえたら、きっとデリダをさらに読みたくなっていることと思います。